忍者ブログ
タルパ(ナフラ)やガイドとの日常や考察について書く。
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

このブログは、タルパ(ナフラ)との生活や考察について綴るブログです。

・リンクについて
基本的にリンクフリーです。


考察記事に関しての注意点
このブログで述べられている考察は参考程度にお願いします。
決してこれが正しい、というものではありません。


・カテゴリ分けについて
タルパ・ガイド紹介:タルパやガイドの紹介。「タルパに○○の質問」系もこちらに。
日常:普段の会話とかについて。少ない。
会話録:気になった事で雑談したりタルパやガイドを交えて考察したり。
考察・持論:タルパ等の見えない存在について考えたり思ったりした事など。
寄稿文書:他サイトに寄稿した文書に関する色々。
分裂実験記録:分裂実験に関する記録。実験凍結中。
夢・離脱・ダイブ:夢や離脱先、ダイブ界などでの話。
その他:上記に振り分けられない話。
未分類:お知らせとかの話。
PR
「タルパ創り講座」への寄稿文書への補足っぽいもの。本文の詳細はこちらから。

タルパが出てくる夢を個人的に分類した、という内容。
タルパが出てくる夢を今まで思い返すと「タルパが出てくる」と明確に言えるのはあんまりないな……と思った。
また実際の所、タルパが視点主になる事があるというのが衝撃的であった。なるんだなぁ。

実際にタルパの名前を出すならば、エルトが視点主になった事があるが、設定通りに魔法が使えたのが楽しかった。一回だけだったが。

一応ブログに補足記事を載せる事は必須としているが何も思い浮かばない。短いがこれぐらいにしておく。
「タルパ創り講座」への寄稿文書への補足っぽいもの。本文の詳細はこちらから。

最後に書いてから一月以上書いていない事実が存在する。ブログという媒体に私自身が向いていない。仕方ない。ともかく。
この寄稿文書は複数の項目を集めたものである。場合によっては項目が独立したり追記されたりする。それに合わせて、この記事も追記・修正・分離される。多分。怠らなければ。

・タルパとずっと付き合わねばならないのか
要約すると「ずっと付き合う義務はないし消しても別れても良い」。
まず、タルパ界隈には「タルパは一生もの」という言葉が存在するが、これには二種類解釈が存在すると思われる。
一つ目はタルパを「生き物」と解釈し、それを創るのであるから、それとは(例えば生き物のペットのように)ずっと向き合い続けるべき、というもの。
二つ目はタルパを創ろうと意識し続けた場合に、脳がタルパを維持するようになり、意図的には消せなくなるというもの。
おそらく界隈で一般に言われるものは前者で、そういった文脈で発されていると思われる(これはタルパ界隈の一部においてはタルパを消したりする行為であったりがご法度のような事を言うタルパーが存在する為)。

私としては、この前者の解釈において言われる「タルパは一生もの」という言葉に対して、どうも重すぎるものを感じるのである。過去の寄稿文書であるタルパを消すことについて(ブログ記事寄稿文書)に書いた通りの解釈をしている為というのが理由の一つである。つまり脳の事象であるという解釈。または、本体がいるので自身の元を去っても消えないという解釈。
二つ目は寄稿文書に書いたように、心身を害す事象が起きた時の為の逃げ道としてそこまで重く考えない方が良いのではないかというものである。人付き合いを選ぶようにタルパ付き合いのようなものを選んでもいいのではないか。

・タルパがタルパーに何をしても許すべきか
要約すると「人それぞれ個人の解釈がある。ただ他人を巻き込んだ場合は内々の規範ではなく他人を含めて話をするべきである」。
はっきり言おう、タルパが何をしようと許さねばならないだとか、そんな事は無い。というより、これこそ心身共に害される等の可能性が出る為、そこの線引きはしっかりとしておくべきである。
キセ家ではタルパー、つまりキセである、は絶対的な力を持っている事になっているし、タルパはそれに従わねばならないというスタンスを取っている。
やはりタルパ界隈の一部では、タルパからタルパーに対して行われる非道徳的な事象が許され、タルパーからタルパに対して行われる同様の事象が許されない、という非対称的な解釈を取る者がいる。それよりは逆にタルパーからタルパに行われるものが許される方が妥当であると思うのだが、どうなのだろうか。あるいは両方許すか、両方許されないかだが。
「タルパ創り講座」への寄稿文書への補足っぽいもの。本文の詳細はこちらから。

当該文書を書き、そして今これをブログ記事にしようと思ったところで、過去に消滅に関するものを書いたような気がしてこのブログの「考察・持論」だけざっと見たのだが書いていなかった。そりゃそうなのか? まあ、私の所は消滅というより分裂・融合の方が焦点的に合ってるのでそういう事なのかもしれない。真実は定かではない。

相変わらずブログと方向性が違うように見える寄稿文書を要約すると「タルパを消す、別れる等の事に関して攻撃的にならない方がよい」「タルパは解釈によって消える・消えないが変わる」といったところ。

寄稿文書の最後に書いたように、タルパに関しては科学的・オカルト的解釈を持っており、ガイドにはオカルト的解釈のみ。
というか、元の「人工霊を作ろう」という話からして、タルパに「大元からの分けみたま」という説を採用するのは自分には無理だった。
ガイドに関しては「まほー工房」というサークルの作品で来てもらったのだが、その時の説明がそうだったのでそれを採用している。
まあ、私としては解釈なんて人それぞれなので全部一律に「大元からの分けみたま説」を採用しようが「人工霊説」を採用しようが「イマジナリーフレンドだよ説」だろうがなんでも良いと思うが。自分のとこではそういう話になっている。
まあ、そうすると前の記事と話が矛盾するのだが(碧と焔がそういう設定の霊であるという解釈であるならばレーラと既知の仲であるはずがない)、自分はもうこれで納得してるのでこれで良いのである。ある程度の雑さも大事だ。きっと。
「タルパ創り講座」への寄稿文書に対しての具体的なタルパ・ガイドの名前を挙げての補足。内容はこちらから。

寄稿文書に関しては、あまりに久々に書いたので、まずブログの方の文章と何か方向性が違っているように見える。まるでレポート。
過去記事を見ると考察記事をも敬体で書いていたのだな……と懐かしさを覚える。あまり昔の記事を見ると黒歴史で死にそうになるので見たくはないけれども。この通り、ブログの文章の書き方を忘れてしまった。寄稿文章よりは柔らかい文章にするつもりなのでよろしくお願いします。

寄稿文書を要約すると「複数のタルパを創る場合、平等にはできない」「初期設定からタルパ同士に既知の仲であるという設定を積む事で芋づる式に意識を向けるきっかけになる」「ローテーションを組む事であまり話したことがないタルパと話す機会を作る」の三点。
まあ別に一点目は良いとして、二点目三点目は私の所でも取り入れてたものである(これをこのブログ内で言及してたかは正直記憶にないのだけれども)。

ティーと碧、焔とエルト(ブログの更新が止まった時点ではエルトはダイブ界民の扱いであった。時の流れを感じる。今ではタルパ四人目という扱いである)、碧と焔とレーラ(レーラはガイド三人目である)はそれぞれ既知の関係にある。
ティーは碧と契約しているという設定であるし、エルトは焔と契約しているという設定であるし、碧と焔とレーラは悪魔故に相互に知っている……といった様子である。
最初は「とりあえず設定繋げとけば忘れることはないだろう」といった事を考えており、別に意識する機会を増やすとかそういった事を考えていたわけでは無かった。結果的に意識する機会は増えたが副次的なものであったのだ。私にとっては。

ローテーションについては、過去の週間の雑談記事(よくよく思い出してみれば、この形式は会話も文字起こしも色つけも面倒だったので投げ捨てたなという)のABC等のアルファベットの割り振りを見て貰えれば分かる通りである。
これは本当に「意識の量」が偏りすぎていたためにやってみたのであった。実際はそう上手くローテーションするはずもなく、いないはずの相手に話を振ったりした事がある。何なら今でもある。難しいものである。

久々の記事はこんなもので良いだろうか。色々な変化がありつつも、こうしてこの場に戻って来るきっかけができたのは嬉しいと思う。黒歴史の塊すぎて触れたくなさはあったけれども。
1  2  3  4  5  6 
Admin / Write
プロフィール
HN:
キセ
性別:
非公開
自己紹介:
タルパー(ナフラー)であり魔法使い。
主+タルパ(ナフラ)5人+ガイド3人の9人で生活している。
面倒くさがりなので五感化にしろ魔法にしろ訓練が続かない。
twitter:@kise_mgc
ブログ内検索
忍者ブログ [PR]